2021/08/10

8/8の日記:土地の熱





台風が来る。

台風は来てみるまで大きさや被害の程がイマイチはっきりしない。だから、台風には備える。

台風で被害を受けたことがない人にはピンとこず、あまり備えもしないだろうと思う。

きのうまでこの辺はおそろしい暑さだった。

二階ってこんなに暑かったっけ?と驚いている。

三十年近く一軒家から離れていた。そのうちの結構な時間を一階で生活した。

わたしが離れている間もこの家はあったのだけれど、夏を広島で過ごすのはいつ以来だろう?お盆に数日帰ってくることならあったけれど、ひと夏の始まりから終わりまでを過ごすのは26歳で半年ほど戻っていた時ぶりだ。その26歳も、もう一度出ていくための準備期間としての心づもりがあったので、ここで生活しているという感覚、ちがうな、どちらかというと意志はとても薄かった。

東京に戻りたいのかヨーロッパに行くのか、決めかねていた。結局は、冬のヨーロッパの三ヶ月滞在であまりにも過酷な喘息が出てしまって、自分には寒い国での生活は厳しいだろうと二度目の上京を選ぶことになる。咳は咳のことしか考えさせなくさせるだけでなく、息をさせないことで、強烈な生命への危機を抱かせるのだとおもう、とにかくつらい、常時眠らずに腹筋している感じだし。

いま、広島にいる感覚が自分にあるかというと、やっぱり怪しい。東京や北九州にいる三十年だってその街に暮らしているという実感なんてなかった。長期の旅にでた時だけ、わたしは土地に馴染んでいる感覚をはっきりと持つ、ようはいい加減なのかもしれない。出ていく・別れると決まっているものとの関係に馴染む。

大袈裟ではなく実態としてそうなのだが、それでも、わたしは徐々にこの家には居る感覚をもちはじめている。わたしが育った家でなく、育ったエリアでもない、あたらしい場所だ。

二階の西の廊下や南東の部屋は、真夏日になると壁も柱も床も自然発火しそうに熱い。午後に廊下を歩くたび「自然発火」とおもう。「自然発火」とすぐに思うようになったのは、近年のカリフォルニアやオーストラリアあたりの森林火災からきているのだろうとおもう。2018年の夏に、LAにいるときにまさにすぐ近くの丘が燃えた。燃えたあとの丘は黒くて煤けていて、煙の匂いがずっと残っていた。そんなことが起こるのも当然と思わせるくらいに、日中のLAの日差しは恐怖を感じる強さなのだけれど、それでも人間はエアコンの効いた室内にいるので、暑さがどこか遠い。暑さが外には充満していることを誰しも知っていて、けれど逃れ得るというか、コントロールできるものとして人は暮らしているように見える。事実としては、わたしの知っているなかにも冷房のない部屋で暮らす人もいたのだが、その事実をもってしても、あの土地に「冷房」がなければ、人は暮らしたりしないとおもう。最初から冷房ありきで歴史が始まったのではないかとおもうほどだ。真実はしらない。

なんにせよ、熱は蓄積されれば火になる。

ずっと同じ空間に溜まっていたのだから。

午後に廊下へでると、まるで瞬時に肌が空気に焼かれるようだ。

そして原爆だ。

広島の家の廊下だから。毎日、中国新聞で原爆関連の記事を読むから。散歩に出れてば、あちこちにひっそりと小さな、ときには立派な慰霊碑があるから。大きな、公の、市の慰霊碑では間に合うはずのない身近な特定の知人たちが死んだのだ。

その命の凄まじい終わりを目撃した人がいたのだ、どこの近所にも。


元気なところしか見たことのない家族が八月に入ってひどく体調を崩し、あれよあれよと食べられなくなった。そんなことが起こるなんて、やっぱりこうして目の当たりにするまでは現実的ではなかった。

命は体の内外をどのように行き来しているものやら不思議でならないけれど、身体はいつでも激変の機会にさらされている。